読むことと書くことは等価である。
というのも読むことが理解、即ちパラフレーズの体系である限りにおいてそれは、書くことだからだ。

従ってリソースとして「読む」「書く」は同じものを奪い合っている。
書きに午前中が適しているのなら、読みに適しているのもまた午前中である。
読みに疲れたら書けないし、書きに疲れたら読めない。


疲れたら他のことをするしかないが、何をすればいいだろう。