今日は墓参りに行ってきた。
 夕方までぐだぐだしていたので、着く頃にはすっかり暗くなっていた。他に人もいなければ明かりもなく、視界の悪さには困らされた。入り口が全く見えなかった上に、目的の墓標が見つからずぐるぐるとしてしまった。暗闇の墓地というのは、いかにも不気味というか、肝試し染みた印象を持たせるが、友人の墓地に参るとなると、決してそのようなことにはならなかった。むしろ仄かな温かみすらあった。帰る頃には闇に目も慣れ、穏やかに辺りを包む月明かりとともに、頭上に輝くいくつもの星を発見することすらできた。
 線香の持ち合わせがなかったが、燃え残りがあったのでそれを燃やした。また、故人を偲んで煙草を燃やした。だいたいこれが恒例になっているが、値上げしたので高価だぞ、と語りかけた。風が無く、燃やすのに苦慮した。自分の喫煙も早々に、息で炎を炊きつけるのに勤しんだ。
 前に来たとき差した向日葵は既に片付けられており、新しい花と、手折れた古い花の姿があった。我々が来た後も誰かが訪れたということである。古い花をどけ、新しい花を差す。また、同じことが繰り返されることだろう。