日本はノーベル賞に湧いている。化学分野から日本人二人が選出されたことは快挙だが、懸案だったノーベル文学賞については村上春樹ならず。受賞者はマリオ=バルガス・リョサ。去年のル・クレジオと合わせると、一気に前衛系の(つまり有名どころの)作家が取ったという印象がある。日本では確か最近『緑の家』が復刊されたと思う。ちょうどいい。

緑の家(上) (岩波文庫)

緑の家(上) (岩波文庫)

若い小説家に宛てた手紙

若い小説家に宛てた手紙

 この『若い小説家に宛てた手紙』というのが結構いい。小説ではなくて小説指南書だが、もともとフローベール論で頭角を表した著者だけに、小説の企みがよく解説されていて勉強になる。この調子でフローベール論も翻訳されて欲しいものだが。

 村上春樹は七十代になるまで取らないのではないか、と思われてきた。しかし、そのうち取るだろう。ところで、読み逃していた『1973年のピンボール』を昨日読み終えた。

1973年のピンボール (講談社文庫)

1973年のピンボール (講談社文庫)

 感想は、とても「村上春樹らしい」というものだったが、同時に、なんだかよく分からん、であった。しばらく文学から離れていたので、こういうものを読み解く勘が鈍っている。好きか嫌いかで言えばとても好きだ。物語ではなく時間経過に重点が置かれたこのお話は、その強制力ゆえのどうしようもない哀愁に充ち満ちている。大した理由もなく現れ去っていく双子、何の意味もなく加算されるピンボールの得点とその捜索、そして25年間生きてきたが自分はすっからかんなのではないかと思い悩んで町と女に別れを告げる鼠。そこに息づくささやかな呼吸が、まるでゆっくりと衰え絶えていくがごとき様子は、虚構に過ぎない小説の中に確かな時間が流れていくのだと思わせて、読者を悲しくさせる。現実より現実らしい現実。僕も鼠と同じだと思った。『羊をめぐる冒険』のことを思えば、なおさらに。

 昨日、夜更かししたので今日は遅起き。夜更かしの理由は友人とのスカイプ。この日記の方針などについて様々な意見を交わす。ごはんは白菜と豚肉のミルフィーユ味噌煮。