新書幻想

 興が乗ったのでもうちょっと書く。
 受験参考書という奴は極めて絶版になりやすく、従って古い本ほど名著と噂されて古本市場で高騰しやすい。古い本は現役生が手に取る機会に乏しく、あたかもそこにお手軽に成績を上げることができる「魔法」が書いてあるような錯覚を起こさせるからだ。もちろん中には名著もあるが、そうでないものの方が多い。(例えば『新釈現代文』は解法があやふやだし、前にも書いたが『思考訓練の場としての現代国語』も著者の思い込みだけで問題を解いているところがある。)ましてや、最新の入試に対応するためには当然新しい参考書を使うべきだろう。
 しかし他方、難関校ほど教養が重要である、というクリシェもまた同じくよく言われる。教養と言えば古い名著がまさに該当しそうなものだが、それ以外でも例えば現代文や歴史などでは知識を深めるためには新書が勧められることが多い。実際、入試現代文には新書から問題がよく採用されるし、難易度を考えてもそこまで重苦しいものではない。(が、高校生の頃の僕には新書はあまりにも重苦しい「大人の読み物」だった。大学に入ってからようやく少しずつ読みだした。)
 古い名著、受験参考書ではない大人向けの新書、などというものは少しひねくれた受験生を誘引するまさにルアーである。恐らくはそのマーケティングの結果生まれたのが、新書分野における受験参考書、とでも言うべきジャンルである。
 今となってはこの分野には驚くほどのタイトルがひしめいている。リンクはしないが列挙すると、『考えるための小論文』『入試数学伝説の良問100』『河合塾マキノ流!国語トレーニング』などはまさに名著と呼べるだろう。いずれ取り上げることもあるだろうが、他方、怪しい本もある。その中でもマックス怪しいと思ったのが、意外や意外、駿台の講師陣が書いた下記の本である。

駿台式!本当の勉強力 (講談社現代新書)

駿台式!本当の勉強力 (講談社現代新書)

 何がマックス怪しいと思ったかというと、サイエンスに属する教師がまともなことを書いているのに対して、いわゆる文学に属する連中がいまいちだったことだ。特にいまいちならまだしも、一部は有害とすら思った。
 大島自体は優れた英語講師だが、音読が重要だ、というくらいしか内容がないことを言っているし、「塗り絵」「貼り絵」批判は、迂遠な和田秀樹批判であってどうも見苦しい。伊藤和夫入不二基義、薬袋善郎といった駿台出の名教師であればもっと面白いことを書いただろうにと思わずにはいられない。
 面白かったのは日本史の野島で、ハーバーマスやアンダーソンを利用して、近代国家の成り立ちについて説明している。これは受験日本史を明らかに逸脱しているが、大学に入って学ぶべき近現代思想の中核であるので、とても有益だ。歴史は科学なのである。
 最大の問題は現代文の霜栄だ。小森陽一のように近代国家・近代国語批判をしたいのはよく分かるが、その役目は野島のほうがよっぽどロジカルに果たしているし、どうも叙情的で論理性に欠けた、そのくせ文体的魅力のない単に冗長な文章を書いているようにしか見えない。難しい言葉を使えば主要読者層であるはずの高校生をけむにまけると思っているようなところが見えているのも鼻につく。
 また、かつてセンター試験に出題された山田詠美『眠れる分度器』を取り上げて、その設問選択肢のどれを選んだらどういうタイプの人間か、だなんて血液型占いのような軽薄なことをしている。これも高校生をナメているとしか思えない。
 だが最悪なのは出典を隠して中核的な叙述をしていることである。石原千秋も指摘しているが、霜が『眠れる分度器』を読むとき使う方法論は、プロップの物語類型である。出典を隠しているのも悪ければ、なぜその方法論が読解に使えるかを明らかにもしていない。ひどいものだ。また、終端の結論として、読解というものは構造と構造からの逃走によって主体と客体を同時に立ち上げるような世界と自己の関係が生まれる、とでも言うようなまとめがなされる。いわゆる国民国家批判とポリフォニー、今風に言えばマルチチュードについて述べておりまあそういうことを言うのは自由だが、このキーワードからも明らかな通りこの話の出典は明らかに浅田彰『構造と力』『逃走論』である。しかし当然のようにそれの言及もない。
 石原千秋は霜のこの態度を学者的誠実のなさと言って批判しているが、それ以上に有害である。本書全体のテーマはいわば受験勉強から大学学問への緩やかな連帯とも言うべきもので、例えば野島は見事にその役目を果たしている。しかし霜はむしろそれを阻害している。きちんとした引用の仕方をしないことは教育的に有害だし、そのような書物を紹介しないことは知識を隠匿して読者に対して優位に立とうとする権威主義である。伊藤和夫は『英文解釈教室』の難解さを、学者になれなかったことの復讐だったと後悔していたというのに、霜の文章にはそのような節度が全くなく、学者にも作家にもなれなかったというルサンチマンだけが渦巻いた決定的な悪文となっている。もしもこの本を読む受験生・高校生がいたら、少なくとも学問や批評というものはこの霜のような文章を批判することから始まるのだ、と声を大にして言いたいものである。

(どうでもいいが、霜の『現代文読解力の開発講座』がアマゾンレビューでは極めて高評価――信者的な感触を覚えるほどであるのが気になっている。文章力と受験指導力は比例しないので別に良書ならそれはそれでよいが、上述のような心持ちであるので近々取り組んでみようと思う。)